宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

本「愛するということ」の感想

エーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読んだ。いや、ほんとうを言うとあんまりちゃんと読んでいない。途中の所はかなり流し読みして、ほとんど頭に入っていない。というのも、けっこう始めの辺りからすでに、書いてあることにあまり賛同できていなかった。そのせいで、あまりちゃんと読もうという姿勢がないまま、惰性で読んでしまった。

まず、第一章で、愛は技術であるということが語られる。わたしたちは愛に関心を持ちながらも、それについて学ぶことがあるとはあまり思っていない。このような話から始まる。そこから、第二章「愛の理論」、第三章「愛と現代西洋社会における崩壊」、第四章「愛の習練」と続く。

聖書の引用を基に考察することが多い印象だが、聖書から話を始められると、不信感があって、入り込めなかった。単に話を進めるために聖書が出てきているだけだとしても、どうも駄目だった。

あとはフロイトに対する反論もよく出てきた。これについては、確かにフロイトの言っていることは無理があるように思えたので、納得できた。しかし、フロイトに対して、筆者が展開する理論も、別に理解はできなかった。例えば、父親と母親は子供にとってそれぞれどんな役割があるかなどの理論が展開されるが、どれももっともらしい気はするが、例外もあるんじゃないかという疑いは出てくる。また、こういう男はこんな性格で、だから・・のような話もたくさん出てきて、これは正直、ただの偏見な気がして嫌気がさした。勿論、フロイトの意見よりはまともだとは思うが、これはこれで何の根拠もない。基本的に哲学的な話なので、正しさというよりは考え方の問題なのかもしれないが。

神に対する愛が語られるところは、もはや全く頭に入ってこなかった。ただ、ページを惰性でめくっているだけだった。基本的に神に対する信仰の習慣が無いので、その手の話題は厳しい。

第4章の「愛の習練」では愛の理論を踏まえて愛を習練する方法について語られる。しかし、語られる方法はどれも効果があるのかどうかよくわからないことばかりだ。全然、納得できなかった。

筆者は社会の中の愛について言及して、現在の社会では愛は厳しい立場にあると言っている。というより、読んだ印象ではほとんど無理なような気がしてくる。そして最後には、愛の成立しない社会など崩壊するに決まっているのだから、愛の発達を阻害するような社会の条件は批判していく必要があると言っている。これには納得だが、読み終えた後、もしそうならば、この愛の哲学も所詮今の社会では理想的過ぎて、実現不可能なのでは?と思ってしまった。実際、読んでいるときから、少し思っていたのだ。この本で言っていることは正しいかもしれないが、これを実現するだけの意志が継続できるだろうか?と。でもまあ、できるかもしれないので、そこは難しいところだが。

とにかく、この本にはあまり集中できなかった。というより最近、本に集中できない。読む気がないのに強迫観念に駆られて読んでいるから苦しくもある。ただ、この本を読んで、愛は意志的なものであるという主張が芯を食っているように感じて、考えを改めることにもなったから、良しとしよう。