小説「静かな生活」を読んだ
ネタバレ無し
大江健三郎は、基本的には、一人称が<ぼく>である。そして、大抵は、その<ぼく>は小説家を職業としていたり、家族の中で父親をしていることが多く、これは大江健三郎自身を投影しているイメージである。しかし、この作品では、一人称が<わたし>であり、主人公は、とある家族で娘をしている大学生の女性である。要は、大江健三郎が、自分の娘の視点を借りて、小説を書いたのが、この作品であるということだ。
(確か、大江健三郎は、「人生の親戚」という作品で、同じように、女性を主人公としていた記憶がある。たぶん、大江健三郎としては、このような主人公のスタイルは、別に珍しいことではないのだろう。)
それで、この語り手に女性を設定しているということが、ある意味でよかった。今までの小説とは違って、少し読みやすく感じたのだ。基本的には難しい言葉で語られる大江健三郎の世界が、ここでは平易な言葉で語られているので、また新しい見方から、その世界観を感じられたように思える。
そして、やはり話の中心にあるのは、イーヨーと呼ばれる脳に障害を持った男である。障害者をめぐって様々に感じたことが語られるという点では、「新しい人よ、目覚めよ」の方が深みがあったように思う。でも、この作品でも、ハッとさせられるような、良い場面や言葉があって、読んでよかったと、十分に満足した。
あと、最後の伊丹十三のあとがきも面白かった。映画化する際に思ったこととかが語られていて、映画製作に関する考え方も知れた。映画にも興味が出てきた。いつか、見てみようかな。