宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

漫画「劇画漂流」を読んで(辰巳ヨシヒロ)

 

<あらすじ>

劇画の生みの親である辰巳ヨシヒロの自伝的作品。漫画を描き始める頃から、劇画を生んだり、色々と成功したり苦労したり、仲間と切磋琢磨する青春を、主人公に自分の人生を投影して、描いている。上下巻。400ページずつ。

 

<感想>

まんが道は読んだことがあるのだが、その劇画バージョンって感じがした(そりゃそうだろって感じだが)。トキワ荘の漫画家は大体、子供向け漫画へ向かっていくと思うが、この漫画の中に出てくる漫画家は、大人向けへ向かって、新しい漫画を模索する。トキワ荘の方が華々しくて、こちらは闇金ウシジマくんばりに薄汚れてるのではないかと思いもしたが、そんなことはなかった。

まんが道で、藤子不二雄の二人は意外と駄目さが露出しているが(藤子不二雄Aの趣味でもあろうが)、この点で言うと、劇画漂流の主人公はかなりまともだ。締め切り守らない云々は別として、この主人公は漫画雑誌を経営したり、恋愛にも誠実さを見せたり、大人としてはかなり誠実だと思う。寧ろ、誠実過ぎて、これは嘘だろうな、とも思ったが・・・。しかし、てっきり大人の汚れた部分を見せつけられるかと思っていたが、寧ろ、気持ちよく読める青春の物語だった。

「劇画」というのは、僕の感覚だと、リアルな絵で描かれるシリアスな漫画という印象だった。正直、あまり正確な定義について考えたことがなかった。藤子不二雄の作品に、劇画オバキューという漫画があるが、あんなイメージしかなかった。しかし「劇画漂流」を読むと、劇画の定義は以下のようなものらしい。

①笑いとかデフォルメを排除したもの

②ページ数を多く使い、コマと時間のシンクロをさせることで、よりリアリスティックにしたもの

僕がイメージしていたのは、要するに①なのだろう。そんで、②の方は、初めて知った訳だ。②は、漫画の中に、映画的な手法を持ち込んだものらしい。つまり、コマの大きさや、セリフの入れ方、などを工夫することで、それぞれのコマを読者がどれだけ見るか、その時間を計算できる手法ということだ。こうすると、読者がよりリアルに漫画の世界を体感できるという訳だ。アメリカドラマで「24」というのがあるが、これは映画の中の24時間が、実際の24時間と同じになっているらしい。極端に言えば、そういうことなのだろう。

劇画漂流を読むと、そもそも漫画という言葉の定義も、当時は様々だったことが分かる。子供向けだけが漫画で、劇画はそれに対抗するものだとか、そんなことも書いてたりする。今はもう、それらの言葉は、かなりざっくりとした定義になってしまって、要するに死んだ言葉になってしまっているが、この漫画を読むと、当時の漫画とか劇画とかいう言葉が、漫画家たちの中で本当に生きた言葉だったことが伝わってくる。

結局、僕が最後に強く感じたのは、昭和の何かと自由で、ドラマチックな雰囲気だった。勿論、アメリカとの問題など、今より苦しいことがたくさんあって、涙も多い時代だったのは違いない。しかしその分、喜びもあって、今よりは面白そうな時代だとも感じる。この漫画では、度々、当時の社会状況が語られる。人々の印象に残った事件とか科学の発展とかが語られるのだが、これを見ていくだけでも、何だか深い感慨にとらわれてしまう。やたらと素直に、「ああ、良い時代だな・・・」などと、傍観者的に思ってしまった。これだけ新しいものが入ってきて、時代がどんどん成長していく感覚を味わえるというのは羨ましい。

あと、この漫画では、昭和の女がやたらエロく見える。島耕作的な感じだ。主人公もモテ過ぎ。