映画「テリーギリアムのドン・キホーテ」を見て
<あらすじ>
<感想>
不思議な映画だ。そう思った。今までに、こういうのを見たことがない気がした。話が複雑だし、何が何だか・・・。ちょっと、もう一回見ないと、よく分からない気がするが、そこまでする気にならないので、とりあえずの感想を書く。
端的に言えば、面白かった。何が何だか分からなくても、笑いがあり、アクションがあり、勢いがあるので退屈しないし、訳が分からないことそのものが、この映画のテーマとなっているようにも思えた。ただ、やっぱり複雑なところがある。ドン・キホーテは、本を読み過ぎて、自分が、姫を救う騎士だと本気で信じてしまった人だが、この映画に出てくる老人は、自分をドン・キホーテだと思い込んでしまう。つまり、ドン・キホーテが騎士道物語を読んだように、この映画の老人は、ドン・キホーテの映画の出演して、自分をドン・キホーテだと思い込んでしまう。もう、書いていても、ちょっと訳が分からなくなりそうだ。
原作のドン・キホーテは読んだことがあるが、この作品は確か、メタの要素を持っている。「ドン・キホーテ」の中で、「ドン・キホーテ」という贋作小説が出回ってしまい、それについて、ドン・キホーテが感想を述べたりするのだ。こういうところは、確か、当時の文学としては画期的だったとか何とか・・・。いや、つまり、元々、ドン・キホーテと言う小説も、ちょっとメタなところがあって、話が込み入っているのだ。
僕は、こういうメタなところとか、嫌いじゃないが、なんか、訳が分からなくなる。しかも、この映画に至っては、自分をドン・キホーテだと思い込むのだから、「えっ、それって、つまり、メタのメタ・・・」みたいに考え出すと、頭がパンクしそうになる。ただ、まあ、そんなに深く考えなくても、話を単に追っていけば、流れは追えるから、映画自体は楽しめる。単に、物語の考察とかしだしたら、複雑というだけだ。
ドン・キホーテといえば、風車を敵だと思って、突進してしまう場面だが、これはちゃんと映像化されている。もう、これは、笑うしかなかった。小説でも面白かったが、映像になったら、さらに面白かった。原作の忠実な再現ではなく、現代的な要素を加えているので、原作とは結構、違う作品になっているが、このように、ところどころ、原作の印象的な場面が出てくるのが良かった。
原作では、ドン・キホーテはあくまでも、狂人として、外から眺められるだけだった。つまり、読者としては、ドン・キホーテが見ている世界は、全く感じられなかった。しかし、この映画では、ドン・キホーテが実際にどのような世界を見ているかが、映像化されてもいる。これは、原作にはない要素だった。こういう風に、ドン・キホーテの主観を見せられると、ドン・キホーテを完全には笑うことはできなくなってくる。例えば、ドン・キホーテが風車を敵だと思ってしまうことに、実際に共感できてしまうのだ。
これは面白いのだが、ちょっと疑問にも感じたところ。夢の世界とか、狂人の頭の中とかも、映像化できてしまうのは、映画の有利な点だが、それによって、原作にあった隠されていた部分が、単純化される気もする。ここの点は良かったのだろうか・・・。うん、いや、まあ、よかった気がする。なんというか、これは、やはりドン・キホーテの忠実な再現とは、全く違う作品だから。そして、それでちゃんと成立しているように思えるから。タイトルでも、わざわざ、「テリーギリアムのドン・キホーテ」と断っている。