宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

映画「テリーギリアムのドン・キホーテ」を見て

 

<あらすじ>

仕事への情熱を失くした CM 監督のトビーは、スペインの田舎で撮影中のある日、謎めいた男から DVD を渡される。偶然か運命か、それはトビーが学生時代に監督し、賞に輝いた映画『ドン・キホーテを殺した男』だった。舞台となった村が程近いと知ったトビーはバイクを飛ばすが、映画のせいで人々は変わり果てていた。ドン・キホーテを演じた靴職人の老人ハビエルは、自分は本物の騎士だと信じ込み、清楚な少女だったアンジェリカは女優になると村を飛び出したのだ。トビーのことを忠実な従者のサンチョだと思い込んだ老人は、無理やりトビーを引き連れて、大冒険の旅へと出発するのだが

 

<感想>

不思議な映画だ。そう思った。今までに、こういうのを見たことがない気がした。話が複雑だし、何が何だか・・・。ちょっと、もう一回見ないと、よく分からない気がするが、そこまでする気にならないので、とりあえずの感想を書く。

端的に言えば、面白かった。何が何だか分からなくても、笑いがあり、アクションがあり、勢いがあるので退屈しないし、訳が分からないことそのものが、この映画のテーマとなっているようにも思えた。ただ、やっぱり複雑なところがある。ドン・キホーテは、本を読み過ぎて、自分が、姫を救う騎士だと本気で信じてしまった人だが、この映画に出てくる老人は、自分をドン・キホーテだと思い込んでしまう。つまり、ドン・キホーテが騎士道物語を読んだように、この映画の老人は、ドン・キホーテの映画の出演して、自分をドン・キホーテだと思い込んでしまう。もう、書いていても、ちょっと訳が分からなくなりそうだ。

原作のドン・キホーテは読んだことがあるが、この作品は確か、メタの要素を持っている。「ドン・キホーテ」の中で、「ドン・キホーテ」という贋作小説が出回ってしまい、それについて、ドン・キホーテが感想を述べたりするのだ。こういうところは、確か、当時の文学としては画期的だったとか何とか・・・。いや、つまり、元々、ドン・キホーテと言う小説も、ちょっとメタなところがあって、話が込み入っているのだ。

僕は、こういうメタなところとか、嫌いじゃないが、なんか、訳が分からなくなる。しかも、この映画に至っては、自分をドン・キホーテだと思い込むのだから、「えっ、それって、つまり、メタのメタ・・・」みたいに考え出すと、頭がパンクしそうになる。ただ、まあ、そんなに深く考えなくても、話を単に追っていけば、流れは追えるから、映画自体は楽しめる。単に、物語の考察とかしだしたら、複雑というだけだ。

ドン・キホーテといえば、風車を敵だと思って、突進してしまう場面だが、これはちゃんと映像化されている。もう、これは、笑うしかなかった。小説でも面白かったが、映像になったら、さらに面白かった。原作の忠実な再現ではなく、現代的な要素を加えているので、原作とは結構、違う作品になっているが、このように、ところどころ、原作の印象的な場面が出てくるのが良かった。

原作では、ドン・キホーテはあくまでも、狂人として、外から眺められるだけだった。つまり、読者としては、ドン・キホーテが見ている世界は、全く感じられなかった。しかし、この映画では、ドン・キホーテが実際にどのような世界を見ているかが、映像化されてもいる。これは、原作にはない要素だった。こういう風に、ドン・キホーテの主観を見せられると、ドン・キホーテを完全には笑うことはできなくなってくる。例えば、ドン・キホーテが風車を敵だと思ってしまうことに、実際に共感できてしまうのだ。

これは面白いのだが、ちょっと疑問にも感じたところ。夢の世界とか、狂人の頭の中とかも、映像化できてしまうのは、映画の有利な点だが、それによって、原作にあった隠されていた部分が、単純化される気もする。ここの点は良かったのだろうか・・・。うん、いや、まあ、よかった気がする。なんというか、これは、やはりドン・キホーテの忠実な再現とは、全く違う作品だから。そして、それでちゃんと成立しているように思えるから。タイトルでも、わざわざ、「テリーギリアムのドン・キホーテ」と断っている。