宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

バーニング 劇場版

月に一回、カウンセリングに行っている。あまり効果を感じてはいないが、かといって完全に無意味とも断定できずにいる。50分で8000円もするのが厳しい。これだけのお金を払うのであれば、それだけ治療の効果というのが欲しい。しかし、精神的なことなので、はっきりとした効果を得るということも、またむずかしい。料金がもっと安ければ、行く意味があるかなんて、こんなふうに考え込んだりすらしないのだが。

カウンセリングへ行っても、何も話したいことがない。ここ最近のことをさぐってみて、なにかネタにできそうなことがあれば、ほっとする。ネタがなにもないと、ほんとうにカウンセラーと向かい合いながら、何もしゃべらないで時間が過ぎてしまうことになりかねない。ぼくはカウンセリングのたびに、何か新しいことを語らないといけないような気分がしているのだが、たぶん、カウンセラーはそう思っていない。カウンセラーから、ぼくはたびたびそのことを指摘される。カウンセラーは、別に、このカウンセリングは、一か月の間にあった心境の変化を話すためだけにあるのではないと言う。しかし、ぼくとしてはやはり心境の変化というものがあったほうが、語りやすいのだ。何もない状態で、50分も話すのはむずかしく感じる。

カウンセリングにはっきりと効果は感じていないが、なにか話しているうちに、自分のことがわかったりすることがある。カウンセリングになにか効果があるとすれば、この気づきのことかなと思う。この気づきというのは、普段から自分について考えていることとは違っている。たぶん、自分ひとりで黙々と考えるのではんく、ひとに伝えるために実際に語りながら思考すると、いつもと違うものが出てきたりするのだと思う。あと、カウンセラーのことばが僕の考えに変化を与えることもあると思う。

この前、カウンセリングへ行ったとき、ぼくはこんなことを言った。

<今の状況はひとりきりで、誰かと会話することも全然ないですけど、それでも学校とか会社とかで集団の中でひとりでいるのとは全然違う。同じひとりでも、集団の中で一人でいるというのは、別次元で苦しいです。今のように家で一人でいるということは、それ自体は、やっぱり孤独で辛いですけど、それはただ孤独というだけで、全然耐えられないものでもないです。>

<学校とかだと、孤立って感じになるんですかね?>

<そうだと思います。誰かと話すと、楽しい時もあるけど、その人に合わせなくちゃいけなくない時もあるじゃないですか?そういうのが結構窮屈なんですよね。それだったら、仲間とつるんだりするより、ひとりでいるほうが楽だなってなるんです。始めはそこからなんです。始めは、ただ一人の方が楽だから、一人でいるんです。でもそうすると、集団の中でどうしてもうまくいかなくなるんですよね。なにか流れみたいなものがあって、世の中でうまくやるためには常にそれに乗っかっていないといけなくて。でも、ひとりでいると、その流れが止まる気がするんですよね。そうすると、初めて自分が孤立しているような気がしてくるんです。始めはただ一人でいたいっていう、いわば孤独に過ぎなかったものが、いつのまにか孤立になっていて。それで孤立してるなと思って、流れに乗ろうとしても、すごい疲れるんですよね。だから、結局、孤立していっちゃう。ぼくの経験だと、孤独より孤立のほうが、だんぜん辛くて。家で引きこもっているのも地獄ですけど、それでも孤立に比べれば、大したことないですよ。>

こんな感じで、流れるように喋った。話しながら、感情的になっているのがわかった。ああ、自分ってこんなことで悩んでいるんだと、ちょっと理解できた。

 

<バーニング 劇場版>を見た。イ・チャンドン監督。同監督の<オアシス><ペパーミントキャンディ>がどちらも、かなり良かったので、これも見てみようということになった。原作は、村上春樹の<納屋を焼く>

村上春樹の<納屋を焼く>を読んだことはないが、作者の小説の雰囲気とノリは知っていた。それで、映画化するのは難しいのではないかと思っていた。実際、映画を見た感じでは、やっぱり変な話だなという印象はあった。わかりやすいストーリーとは違って、謎が多く、結局、答えが開示されるわけでもなく、終わってしまう。見ている人間としては、ストーリーにはどういう意味があるのかなどと自分で色々と考えてみなければいけない。

正直言うと、ぼくはあまりこういう意味深な話が好きじゃない。エヴァンゲリオンとかが好きな人は、こういうの考察するのも好きなんじゃないだろうか。でもぼくは苦手だ。この映画にもたいして考察を深めようという気が持てない。別に、難解な映画を否定するわけではないが、ぼくとしては、ちゃんとわかるように作られている映画を見て、娯楽として楽しみたい。小説にしてもあくまで現実的な範囲で進行するドラマが好きだ。だから、村上春樹も正直、苦手だ。面白いところもあるとはおもうが、結局、分からないところが多くて、難しすぎる。

ただ、なんとなくわかるのは、この主人公の内面だ。<小説家になりたいけど、何が書きたいかわからない。なんか世の中に対して背を向けているところがあったりするけど、何が不満なのか見えてこない。金なんかと思いつつ、金持ちを見ると苛立たしい。>みたいな、そんな感じは伝わってきたし、共感できた。それで、納屋を焼くという犯罪行為にひかれるのも分かるし、それを目撃できないということに、自分が所詮世を騒がすことのない有象無象であることの虚しさが暗示されているような気がする。

この映画でどこまで原作に忠実なのかは分からないが、たぶん、ラストの展開は原作にはなかったんじゃないだろうか。たぶん、映画としては、なにかオチをつけたかったんじゃないかと思う。このオチが、映画の中で浮いてしまって、付け足し感が出てしまうようではだめだと思うが、ぼくとしては別に違和感がなかった。少しの唐突さはあったけど、これはこれとして良いように思った。

映画をみるうえで、村上春樹を映画にするとどんな感じになるのかという興味はあったけど、彼女だか何だかわからない女の子といきなり寝てしまうとか、ちょっと文章ぽいセリフがあったりしたのは、原作のノリを感じた。村上春樹の小説にはあまり現実感を感じないのだが、映画ではけっこう現実的になっていたように思う。ぼくは現実的なほうが好きなので、これはよかった。このあたりは監督のすごさかと思う。