宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

カミュ「カリギュラ」をよんだ

 

ネタバレ無し・あらすじのみ

 

カリギュラというタイトルから、話の内容は全く想像できていなかった。だから、内容を予想などしてもいなかったのだが、よんでみるとなぜか予想外な気がした。「ペスト」「転落」「異邦人」とは、また違った方向性だったからかもしれない。

 

「転落」「シーシュポスの神話」「異邦人」を読んだとき、カミュは一体、どういう精神状態で生きているのだろうかと疑問に思わないわけにはいかなかった。この「カリギュラ」を読んでも、そう思った。「異邦人」のムルソーとか、「カリギュラ」のカリギュラは、当然、作者の一部であり、全く作者と同じではないにしても、似通ったものではあるはずだ。そうなると、やっぱり、カミュの内面にも、これらの登場人物のようなところがあるわけだ。そう思うと、カミュは、かなりやばい人なのではないかと思わざるを得ない。

 

しかし、実際、カミュはとてもいい人だったらしい。ぼくには、こういうものを書けて、それで社会で、しっかりいい人として生きていられるということが、少し信じがたい。色々と、カミュについて、想像をめぐらしてしまう。一体、どんな人だったのだろうかと。

 

この本のあとがきに、カミュが演劇を最も大事にしていた、という話が書いてある。「ぼくたちは、3か月働いて、2か月練習した。たった二回の上演のために。」という言葉が書いてあった。カミュに言わせれば、演劇というのは、上演のそのとき限りのものである。小説は後世にも読まれる可能性があるが、演劇は完全にそのときだけのものである。だから、役者というのはとても儚い生き物なのだみたいなことを言っている。

 

演劇に対してそう考えるカミュにとって、演劇のために時間を費やすというのは、どういう感覚なのだろうか。たった二回の、そのとき限りの上演に、合計で5か月も費やすというのは、どういうことなのだろうか。そう思うと、カミュの心の情熱を感じざるを得ない。それは、異常なくらいに激しい情熱なのではないだろうか。

 

カリギュラ」は、相変わらず、難しかった。読んでも難しいのに、これを演劇にして、果たして観客はついていけるのだろうか、と思った。結局、分からない所がたくさんあり、とても内容を理解できているとは思えないが、それでも読んでよかった。分かるところだけでも、十分に楽しめた。