今日は休み。一面、曇り。
今日は休み。
昼頃、雨戸を開けると、一面の曇り空。
雨は降っていない。
朝、コーヒーを一杯。昼にも一杯。
何もする気にならず、海外の人がアニメの分析をしてる動画を、youtubeで見ていた。
自動翻訳機能のおかげで海外の動画も見れるのは、すご過ぎる。
分析されるのは、まあ、暗めのアニメに限られている。
しかし、それだけではなく、やはりちゃんと芸術的な要素が感じられるというのが味噌らしい。
結構、熱く、本格的な分析がされているので面白い。
小室直樹の「危機の構造」という本を読み終えた。
備忘録と内容の整理がてら、印象に残った点をとりあえず一つ書いておく。
・「所有」という概念を、日本人は、実際に自分が所有しているものにしか感じにくい。
つまり、例えば税金などに関して、税金は国民の所有していたものということになるが、税金を払って、自分の手元にその金がなくなると、それに対する所有の意識が薄くなってしまう。
しかし、海外では税金に対する所有の感覚は強く、不当に税金を使用されたと感じると、実際に自分の財布から金を取られたかの如く、神経に障るらしい。
逆に、例えば、会社に対して、日本人は、社長も会社員も株主も、その会社に関わっている人はみんな、その会社に対して所有の意識がある。
会社員も自分の会社をある程度は所有していると感じているし、社長も株主も感じている。
実際に自分が関わっているという心があるからだ。
そのため、上が自分の所有物のように会社を扱うと、会社員からの反発が無視できない。
しかし海外では、会社は資産家の所有であって、社長や会社員の所有ではない。
だから海外では、資産家が自分のやりたいように、会社に決定を下しても構わない。
自分の所有物なんだから、どう扱おうと自由ということになる。
つまり、結局のところ、日本人の倫理は感情基盤になっているということのようだ。
これも、本の別のページに書かれている事だが、感情がベースになっているために、所有に対して、実際に所有しているかどうかが重要になってくる。
つまり、実際に、何かを所有しているという心がないと、所有を感じられない訳である。
だから、税金など、今自分の財布にない金には、実際に持っているという感情が得られず、結局、所有という意識が薄くなる。
おそらく、海外であれば、「自分の手元にはあるが、これは自分の持ち物ではない」とか「自分の手元にはないが、それは自分のものである」というような区別が付け易いのだろう。
つまり、この本が言いたいことは結局、日本人は意識的に近代精神を勉強しないといけないということらしい。