宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

大江健三郎の死を知り、少し・・・

大江健三郎が死んだと、ニュースで見た。何とも言えない気持ちになった。僕は彼の世代の人間じゃないので、それほど悲しみや衝撃はないけど、ただ無力感のようなものが湧いた。「人って死ぬんだなあ」などと、当たり前のことを、思ったりした。

僕は、昔、大江健三郎の初期短編集を読んで、衝撃を受けた記憶がある。会社を辞めて、かなりの閉塞感の中で、死にたいと思いつつ、自室に篭っていた時だった。僕は、その時、初めて、大江健三郎のことを知った。ノーベル賞をとってるのも初めて知った。彼の本は、本屋にもあまり置いてないから、偶々、ネットで名前を知らなかったら、そのまま一生知らなかったかもしれない。

大江健三郎の作品は読みにくい。文章がとっつきにくい。時に苛々するレベルだ。でも、初期の短編や個人的な体験は、比較的、読みやすい。比較的、だが。でも、僕は、大江健三郎の初期短編には、がっつり心を持ってかれたと思う。特に「他人の足」が印象的だった。

その時の自分の閉塞感が、大江健三郎の小説に漂うものと、時代と状況を超えて、つながったのだと思う。僕は、その時まで、太宰治とかは読んだことがあったが、あんまり文学には縁がなかった。夏目漱石は面白い気がしてたけど、太宰治とかは面白いという感じじゃなかった。

昔、友達が、太宰治について、「暗い気分の時は、暗いものに浸る方が、寧ろ癒されるんだよ」などと、正に太宰顔で言ってきたことがある。僕は、賛同したが、しかし太宰治には批判的な気持ちが湧いて仕方がなかった。何というか、太宰治は、共感はできても、好きにはなれない。よく、「友達がいない同士で友達になればいいじゃない」などと言うが、友達がいないような奴同士が、友達になれるはずなどない。共感はできても、嫌気がさすだけだからだ。僕の太宰治への想いも、それと同じようなものだと思う。

要するに僕は、文学は凄いとは思いつつも、面白いものではないという気がしていた。

しかし、大江健三郎の初期短編は、面白かった。それもただ娯楽的というのではなく、深い感動があった。「これが文学なのか」と僕は、その時、初めて思った気がする。

今はもう読んでない。けど、大江健三郎が死んだのは、少し・・・、やっぱり少し、「ああ」と言いたくなる。