宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

映画「家族の肖像」

 

<あらすじ>

ローマの高級住宅街。一人「家族の肖像」の絵画に囲まれて暮らす、老教授(B・ランカスター)の静かで孤独な暮らしは、ある日突然の闖入者によって掻き乱される。

 

<感想>

映画の前に、軽くあらすじを読んだのだが、その時には、何となく、勝手に小津安二郎の映画みたいな感じかなと思っていた。それも、家族の暗い部分にスポットを当てたようなものかと思っていた。しかし実際、見てみたら、全然違っていた。家族という単語がタイトルに入ってはいるが、主人公の老教授は一人で暮らしており、そこへ自分より若い世代の家族が闖入してくるという話であるので、ただの家族ドラマではない。このタイトルはつまり、主人公が、闖入者の一家を、肖像として眺めるということなのだろう。

教養の深い老教授と闖入してくる一家との差は、かなり激しい。時代背景も文化も知らないので、何とも言えないが、世代の違いだけでなく、階級的な違いもあるように感じる。僕は、老教授に共感できることが多かったので、素直に主人公の視点に立って、映画を見たが、そうすると、この一家の振る舞いは実に苛つく。今でいえば、礼儀を知らないDQNが、家の中に無理に居候してきているみたいな感じだろうか。もしそうだとすれば、人はそれを地獄と呼ぶのではないだろうか。

老教授も実際、この一家の振る舞いに対して、しっかり苛ついているのだが、彼はそれを必死で抑えて葛藤している。この教授は相当な人格者なのだ。しかしそれ故に孤独でもある。物事に対して深い洞察を持つことが、俗世間からの遊離につながってしまうことは、簡単に想像できる。彼はそうして、見術品という孤独な趣味の中で、しかし暖かい余生を送っていたのだと思う。

この映画はとても深い感動を持っているが、しかしそれは、いわゆるお涙頂戴のようなドラマチックなものではない。そうした直接的で足の速いものではなく、心の底にじわじわとゆっくりと染み入って、中々取れないため、却ってすっきりできないような、そんな独特な感動なのだ。

たぶん教授は、教養の深さ故に世間から離れて孤独になってしまう、そんな自分の在り方を、自分でもどこかで哀れだと思っているのだろう。それが教授の弱みである。だから一家が、いくら不躾で俗世にまみれていて、自分を苛立たせてきても、それを完全に突き放すことができない。教授の教養に満ちた目は、そうした俗っぽさすらにも、ちゃんと正しさと事情というものがあるということを見逃さないのだ。

こういう、教授の抱える苦しみは、しかし優しさに昇華されているように見える。それが教授の人格の高さを思わせる。しかしそれと同時に、人格が高ければ高いほど、孤独がより深くなってしまうようにも見える。その狭間の中で、結局一人であることから離れられない教授は、その深い愛をもって、この一家を眺めることとなる。するとこの不躾な一家が、教授の趣味によって、一つの美しい肖像画のように立ち上がってきてしまう。これが結局のところ、教授の若い世代への感傷でもあり、また鑑賞でもあるのだろう。そして教授の目は、最期の予感もあってか、暖かい。ここに、この映画の感動があると思う。

結局のところ、細かい背景は全く分からない。しかしとても繊細複雑な心の映画に見える。