宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

「大いなる遺産」を読み始めた

 暇な時間が苦しい。時間を無為に過ごしているという事実が苦しい。何かをしようと自分の中にやる気を探ってみるが、何も出てこない。何をしても無駄だという気がしてしまって、行動する気にならない。結局、時間を無為に過ごすか、時間を何かしらの行動で埋めるかのどっちかになる。どちらにしても苦痛だ。

 昨日考えたことをまた考えた。人生が無駄ではないと思うのなら、この無為に思える時間も無駄ではない。苦痛を感じるたびに、それを思い出して苦痛に逆らった。わたしはどうやら人生が無駄であるという考えに自然に傾斜していくようだ。だから苦痛になってしまうのだ。

 人生が無駄かどうかはたぶん選択の問題だ。どちらを選ぶことも間違いではない。はるか昔の無名の人間たちが生きたことを自分は無駄に思うかどうか考えた。考えると無駄であるような気がした。しかし彼らの人生が無駄だと考えるのであれば、偉大な業績を残した人間でさえ無駄であるということになると気づいた。さらには人類が今まで生きてきた事にも何にも意味がないということにもなると気づいた。

 やはり人生が無駄かどうかは選択の問題なのだろう。どちらか好きな方を選んでいいのだ。それならばわたしは無駄ではない方を選びたい。無駄ではないということが正しいと思えたらいいのだが、そこまでは思えない。無駄ではないと思うのは、無駄であると考えることが苦痛だからだ。わたし自身は無駄であるという考えに引っ張られている。だからまた無駄であるという考えに傾斜してしまうのだろう。わたしには苦痛になるたびに選択が必要のようだ。

 無為に時間を過ごすことが苦痛で本を読んできた。苦痛を埋めるためだから、一日に読む量もまちまちだった。でもこれからは読む量を決めて読もうと思った。計画的に行動することで無為であるという感覚は減るはずだ。とりあえず一日百ページと決めた。今日、ディケンズの「大いなる遺産」を読み始めた。このペースでいけば8日で読み終わるはずだ。図書館へ行ってこれから読む本も決めてみた。「八月の光」「怒りの葡萄」「百年の孤独」それぞれ8日くらいで読み終わるはずだ。

 一日百ページと決めてしまうと暇な時間は増えてしまった。暇な時間は苦痛だった。考えても意味のある行動が無く、無駄に散歩したり、書店で本を眺めたりして時間をつぶすしかなかった。無駄に散歩することが、自分にとってはまだ無駄ではない方なのだ。苦痛になるたびに人生は無駄ではないと思って、気持ちが苦しくならないように努めた。

 「大いなる遺産」はまだ百ページしか読んでいないが現時点でも面白い。主人公ピップの幼さがリアルだ。小さいころは恐怖が純粋だった。自分にもそんな恐怖があった。それが思い出された。出てくるキャラクターたちも面白い。一人一人がパワフルだ。ストーリーも面白くて引き込まれる。

 今までは日本の文学を読むことが多かったが、この頃はこうして海外の文学を読むことが増えた。どちらも読んでみた結果、今では海外の文学の方が面白いと感じるようになった。日本の文学は美しさがあったり、共感できたりという意味での面白いはあるのだが、エンターテイメントの要素はあまりないと思う。