宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

原則探し

 昼過ぎに喫茶店に行った。道中、直射日光が強すぎて日傘を差した。日傘を差すのは老人であるという偏見があって今まで我慢していたが、遂に日傘をさした。よく考えたら、日傘を差すのは人生初めてだ。直射日光の下で日光に当たらないと、得した気分になるということがわかった。

 喫茶店で「大いなる遺産」を読み進めた。あまり集中できず、文章は読み進めていても、展開に気づけないことも多かった。登場人物の名前もピップとジョーくらいしか頭に入っていない。それ以外の登場人物は大体で理解して読み進めている。一日百ページ読むと決めた途端に読むことが面倒くさくなったが、読むことで義務を果たしたという満足感が得られるようになった。これでいいのだと思った。

 読書以外の時間はクラロワをやっていた。現在、ランク4500辺りをうろうろしている。無課金でやっているので将来のことを考えて、ノーマルカード中心でデッキを構成している。最近になって初めてクラロワの戦い方が分かるようになってきた。今まではこのカードで攻める、このカードで守るという方針がないままプレイしていた。攻守をイメージしてノーマルカードでデッキを構成するとコスト低めのデッキになった。高回転で回しながらジャブのようなダメージを入れていくデッキだ。方針が見えてくると負けた理由も見えてくるようになった。自分の攻撃のパターンだと相手のカードによっては通りにくいということなどに気づく。きっと普通はもっと早くにこのくらいのことには気づくのだろう。自分は今になってやっとわかってきた。スキルが上がったという気がする。しかし4500からはあまり動くことがない。自分のカードのレベルだとこのくらいが限界なのかもしれない。レベルを上がったらまた変化があると思うのだが、まだまだ時間がかかりそうだ。

 やることがなくなると苦痛だった。その度に人生は無駄ではないのだと自分に言い聞かせた。それは無条件に物事を明るく捉えようという言い聞かせだ。マラソンをしているときにも、人生が無駄ではないということに何かしら説得力のある根拠がないか考えていた。結局、見つからなかった。やはり人生が無駄ではないと意識的に考えるしか道はないようだ。こういうことを考えていると、この前読んだ「七つの習慣」という自己啓発本を思い出した。その本には、物や他人や自分を中心に生きるのではなく、自分が定めた原則に従って生きるべきだと書いていた。わたしはそれに説得力を感じ、感化され、何か原則を定めようとしたのだが、無理だった。自分の中にこうありたいという願望は見つけられなかった。でも今こういうことを考えていて、人生を無駄ではないと考えるということは自分の原則になるのではないかと思った。原則というのは自分の真の姿という訳ではなく、そう努めたいことであるから、やはりちょうどいい気がした。一つ原則が定まると、二つ目と三つめも浮かんだ。これは単純に本を読むこととマラソンをすることだ。「七つの習慣」を読んだ際には、原則について考えて中々思いつかなくて、これはかなり難しいことだと思っていたが、今になってみると、人間というのはそもそも気づかなくても何かの原則をもって生きているものかもしれない。知らないうちにこうありたいという生き方をしていて、それにより縛られて不自由を感じたりするのではないだろうか。原則を定めるというのは願望を見出すということだけではなく、今まで気づかずに存在していた原則を意識するということでもあるのではないだろうか。今回わたしが定めた原則も、本を読む、マラソンをするというのは今まで自分が守ってきたものだ。人生を意味のあるものだと考えるのは、新たな願望だ。意識していない原則を意識することで、快楽的な生き方から意志を重視する生き方に変われる気がする。原則を意識できればメリハリのある生活になるだろう。暇な時間は無為な時間ではなく、義務に対する休息の時間へ変わるだろう。今は暗中模索の状況なのでとりあえず、そういう方向で生活していこうと思う。