宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

祖母の家へ

 梅雨が長く続くと思ったら、今度は晴れが続いている。野菜が育たなくて高騰しているらしい。明日の夕方には雨が降ると天気予報は言っている。そろそろ雨が降ってほしい。

 午前中遅くに、祖母の家にいった。祖母は朝食を作ってくれた。この頃はいつも朝食と昼食を兼ねていたので、久しぶりの朝食だった。ボリュームがあってかなりお腹がいっぱいになった。大根の料理が出て、わたしは作り方を聞いた。随分味が染みているから手が込んでいるような気がしていたのだが、作り方はごく単純だった。ただ材料を切って、粗塩と味の素をかけて混ぜ、ごまをかけるだけだった。それだけでここまで美味しくなるということに驚いた。祖母の料理は大抵そうだ。大変そうに思っても実は簡単に作られている。素直に感心した。祖父は医者に行って戻ってくるとわたしにコーヒーを豆から挽いて入れてくれた。少し苦かったが美味しかった。わたしは祖母や祖父と話をしながら新聞を読んでいた。話しながら読むのでなかなか理解できず、時間をかけてじっくり読んでいった。祖母は最近の自分の状況についてよく語った。わたしが自分のことをあまり話さないからそうなったのだろう。わたしは相槌を打ってそれを聞いていた。祖母は最近心掛けていることについてよく語った。その語りを聞いていると、祖母に色々な苦労があることが感じられた。わたしはその苦労の印象に共感しながら話を聞いた。対人恐怖が自分の奥底にあることを意識しているわたしとしては、かなりリラックスして人と時間を過ごせた。それでもやはり疲れはした。一人になりたいという想いはずっとあった。祖母は時間が経つと果物もむいてくれた。わたしは申し訳ない気持ちにもなりながらそれを食べた。こういう風な自動的で受動的な暮らしをするのは駄目であるような気がしたが、怠惰に流れた。

 昼過ぎに図書館へ行った。「大いなる遺産」をもう百ページ読んだ。よくわからないところは相変わらず大体の理解のまま読み進めていった。エステラの話が始まったあたりで百ページは終わった。エステラのところは面白くて集中できた。これからどうなっていくのだろうか。

 「失われた時を求めて」を手に取って冒頭を少し読んでみた。一文が長くて読むのに慣れが必要だと聞いていたが、少し読んだ分にはそれほど難しい文章だとは感じなかった。しかし書いてある内容はとっつきにくそうな気がした。これをいつか読むだろうかと考えたが、見当もつかなかった。

 家に帰ってネットサーフィンなどしていると、ベランダから向かいの家で飼っている猫が道路にまで出てきて寝転んでいるのが見えた。もとは野良猫だった猫だ。痩せた体をしていて少し痛々しい。わたしは家を出て、猫を撫でに行った。猫は人懐っこくて、向こうからもこっちへ歩いてきた。わたしが撫で始めると猫は道に転がった。わたしは背中や頭、お腹をしばらく撫でていた。撫でていると心が癒された。猫は可愛い生き物だ。猫はわたしが帰ろうとしてもずっと道に転がっていた。あまりに無防備に寝ているのでわたしは車に轢かれるのではないかと心配になった。そこで再度猫のもとへ戻って、猫を持ち上げて道路わきに戻そうとした。すると持ち上げようとした瞬間に猫は立ち上がって、今度はしっかりと座りなおした。あれなら大丈夫だろうとわたしは安心して、家へ帰った。自室へ戻りながら自分のように対人恐怖に陥っている人間には、猫などを飼うのは良いかもしれないと思った。自分の精神の不安定さで生き物を飼うのは不安だったが、いつか自分が安定感をもって生きられる日が来たら、飼ってみたいと思った。密かな目標になる気がした。

 それ以外の時間は、クラロワを少しやったり、アニメを見たりした。どれも暇な時間をただ埋めているだけで、全く集中できず、楽しくは無かったが、それでもいいのだと思った。 夜になってくると気分が苦しくなった。自分では自分の状況を崩すことができないという無力感と自己否定感で頭が埋め尽くされた。苦痛に耐える事が重要だと思ってそれに耐えていった。明日もその次の日も苦しみは続くのだと思うと、また苦しくなった。それでも耐えていった。耐えることに人生の意味があるのだと思った。