宇宙のことが心配です

書きたいことを書きます。現在、無職。精神療養中。

生の意味

 昨日から冷房を弱めにしているせいか、体調は元に戻ってきたようだ。

 図書館へ行って、「大いなる遺産」を百ページ読んだ。上巻が終わった。所々よくわからなかったが、あまり疑問を追いかけず、淡々と読んでいった。ピップがどうしてもジョーの存在を恥ずかしいと思ってしまうのが人間味があって印象に残った。もし自分だったら、良心の呵責のあまり欺瞞に陥りそうだと思った。ピップが自分の感情を正視し、肯定していく姿はたくましく思える。

 「失われた時を求めて」が図書館にあることに気づいていたが、それが文学の中でも最長と言われる本だということは今日初めて知った。アマゾンで検索したら全部で13巻あった。一日百ページずつ読んで、どのくらいかかるのだろう。2か月くらいだろうか。興味がわいてきたが、その興味は無謀であるとも感じた。しかしやはりいつか読んでみたいと思った。いつになるかは全く思いもよらない。

 暇な時間になると、思考がいつものように暗い方向へ落ちていった。今は、人生は別に無駄ではないと考えるのに少し慣れてきたのか、その手の虚無に陥りにくくはなった気がする。でもそう考える理由は特にないから、やはり考えないことは難しい。人生が無駄ではないと考える理由はどこにあるのかとうだうだ考えた。例えば、あるおじいさんが死んだとして、彼の人生が無駄だったと自分は考えるだろうか。わたしとしてはそうは考えない気がした。それは単純に同情からそう考えたくないだけにも思えたが、彼の人生が無駄ではなかったと思えるだけの理由が何か存在しているような気がした。その何かについて探るように考えていると、ふと浮かんでくることがあった。わたしは人間というのは誰でも苦悩と闘っていて、その生を全うするのはそれだけですごい事であると自分が考えていることに気づいた。わたしはそれ故に人の生が無駄であるとは思えないのではないかと思い至った。わたしはその考えについて考え、整理していった。すると自分にはどのようにして人生が無駄ではないと考えられるのかが見えてきた。人間には動物とは違って、根本的に苦痛が存在している。それは不条理というのかもしれない。宇宙の歴史からすると人類はほんの一瞬の存在かもしれないことや人類が消え失せても宇宙は続いていくかもしれないことだって、不条理といえるだろう。人間は不条理という試練を常に受けているのだ。だから人がその生を全うしたとき、そこには試練に抗って生きたという事実が残るのではないだろうか。肉体は消滅するが、その事実だけは永久に残るのではないか。だから誰かが死ぬと彼に何らかの誇りを感じるのではないか。それは無駄ではないのではないか。つまりわたしの場合、生の苦痛に耐えたことに意味があると思えるようだ。今までは人生は無駄ではないと理由なく言い聞かせるだけだったが、この考えが見えてくると強くそう思うことができた。暇の苦痛とか人間関係の苦痛とか自己否定が激しくなる苦痛に陥ったときにもこの考えでいると少しは耐えられた。自分は苦痛に耐えるということ自体が苦痛になりすぎていたかもしれない。とりあえずこの考えを大事にして生きていこうと思う。