宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

「大いなる遺産」読了

 空の高いところに霧のような雲がかかっていて、日は照っていたがいつもよりは涼しい日だった。昼過ぎに図書館へ行った。「大いなる遺産」を返却した。最後の百ページは思ってたより盛り上がらなかった。盛り上がるというよりしんみりする方向の話になっていた。ジョーやビディの善人ぶりには感じ入るものがあった。ピップとエステラで話が終わるのもよかった。「大いなる遺産」は一日百ページで8日かかった。ディケンズの小説を初めて読んだが以外にドラマチックだった。自伝的小説というけれど、むしろかなり創作的だと思う。全体を通してエステラとジョーが印象に残った。他にも面白いキャラクターがたくさん出てきてよかった。返却した代わりに「ハックルベリーの冒険」「銀の匙」を借りた。まずは「銀の匙」から読もうと思う。一度、短めの小説を読みたい。

 その後、喫茶店へ行き、ミルクティーを飲んだ。飲みながら、ネットサーフィンをしたり、ぼーっとした。時間はあったがやりたいことが無かった。すぐに虚無に陥り、苦しくなった。苦しいと思うたびに試練だと思って耐えた。何もしないのではなく、何もしないということをするのだと考えた。虚無感から何かをしても結局面倒なことになるのは経験で分かっている。誤った方向へ歩いていき、元の場所へ戻ってくるのにまた時間がかかってしまうことも多い。それならば何もしないでその場所へ留まっている方がいい。何もしないというのはおかしなことをしないということでもあるのだ。それに考えてみれば、何もしないよりも何かをすることの方が容易い。行動するというのはそういう意味では逃避行為になる。勿論、普通は行動が逃避ではない場合の方が多いと思うが、自分のように虚無に陥っている人間には逃避になることが多いと思う。虚無から逃げ出すために行動するというわけだ。しかし安易な方へ逃げてはいけない。何もしないということが苦しいのであればそれに耐えるべきだ。何もしないのが安心だと思えるようになるまで待つべきだ。今までは病みに対して何も基準がなかったが、これを基準にすることができるだろう。つまり何もしないことが苦痛に感じ出したらそれは病みであるということだ。もしそうなったら自分は病んでいると自覚しなくてはいけない。このことを肝に銘じてこれから注意深く生きていこうと思う。

 また、虚無に陥っているときの読書にも危険が潜んでいると思う。虚無の中では何かをしなくてはという想いにかられる。わたしの場合、対人に苦痛があるものだから、大抵は本を読んだりすることになる。しかし本の中の登場人物は大抵、精神の健康な人間として描かれている。そのためほとんどの本に共感が難しくなってしまう。だから結局自分のような虚無を内包している本を選ぶことになる。そうして虚無に共感していく内に虚無に陥っていく。虚無というのは元々何かに依存しやすいから、そうして暗い本につかってしまい、どんどん負のループが強くなってしまう。自分の精神の病みについて自覚があれば、こういうことに注意深くなるのだろうが、わたしはあまり自覚を持っていなかった。そのためドツボにはまってしまった。病みを自覚したら、あまり虚無的な本は避けた方がいい。普通の本にも共感できないのであればもう何もしない方がいい。ニヒリズムというのは芸術家の特権みたいなものだ。芸術家だからそれを生かすことができる。しかし普通の人間はそれでは生きていけない。だからニヒリズムは注意深く避けるべきだ。そんなことを考えた。