宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

晴れの日

完全に晴れた。

すごい寒いかと覚悟して家を出たが、意外と寒くなかった。

段々、日が昇るのが遅れてきた。

駅へ向かう時の空はいい感じの色合いで、昏かった。

 

十年前に使ってたパソコンを捨てようか迷っている。

もう壊れてるかなと思ったが、電源をつけたら、ちゃんと起動して、普通に使えたので、感動した。

でも・・・まあやっぱり捨てようかと思う。

バッテリーが発火したらとか考えてしまうから。

晴れの日

完全に晴れた。

すごい寒いかと覚悟して家を出たが、意外と寒くなかった。

段々、日が昇るのが遅れてきた。

駅へ向かう時の空はいい感じの色合いで、昏かった。

 

十年前に使ってたパソコンを捨てようか迷っている。

もう壊れてるかなと思ったが、電源をつけたら、ちゃんと起動して、普通に使えたので、感動した。

でも・・・まあやっぱり捨てようかと思う。

バッテリーが発火したらとか考えてしまうから。

自動更新、嫌

完全に晴れ。

 

出会い系サイトに登録してたら、自動更新であることを忘れていて、無駄に金を払うことになってしまった。

毎度思うが、自動更新は危険だ。

 

昨日、風呂に入って、湯船に浸かりながら、もし奈良時代だったら、自分は農民であるに違いないと思った。

しかし私は農民なのだが、今の時代においては、農民であるわけにもゆかず、パソコンなどをカタカタ打っているという気がした。

バーチャル世界で稲でも育ててみるか・・・

コーヒーはもう減らす/「もう終わりにしよう」を見終わる

曇り。

もう寒い。

冬だ。

 

最近、コーヒーを飲み過ぎている気がする。

ので、一回分の量を減らすことにした。

回数を減らすよりも、量を減らす方が楽だ。

 

ネットフリックスで「もう終わりにしよう」を見終えた。

物語の部分がそもそもよく分からなかったが、後で解説を調べたら、分かった。

 

すごい映画(ドラマ?)だが、少しひっかかることがある。

この映画は、もし解説されていた解釈が正しいとすれば、男の頭の中の世界を映像化したものということになる。

そうなってくると、この映画は、はなから完全に現実のものではないということになる。

 

普通、映画は、現実を嘘として描いてゆくものだ。

だから、もしこれが普通だったら、この映画は、一人の男が清掃員として学校で働いたり、両親とのことで悩んだり、過去をひきずったりする様を、ドラマとして描くことになる。

そしたら、ここまで話は複雑にはならないし、もしかすると普通過ぎてつまらないものになるかもしれない。

 

この映画は一人の男について、外からじゃなくて、内面の世界から描こうとしている。

そこのアプローチの仕方が普通とは違っていて、確かに面白いのだが、しかし、内面世界を映像化するということへの疑問も少し感じてしまう。

内面世界を映像化するなら、ぶっちゃけ何でもありになる。

しかし、何でもありだから面白いことも沢山できるが、そこに根本的なリアリティが抜けてくる危険も感じるし、すごいことをやっても、それがこけおどしな可能性もある。

 

この人の作品は昔からそんな感じではあるが、この作品は今までで一番、内面世界に振り切っている気がする。

そこのところだけが少しひっかかる。

 

ただ、これが、自殺する寸前の極限状態の男の話だとしたら、しかも世の中から疎外された人間の話だとしたら、その男が実際、非常に内面的な人間であることは却って現実的とも思える。

そうなると、こういう映画表現だからこそ、この手の人間を表現できるのだという話にもなるかもしれない。

何にせよ、映画は普通に面白かった。

休みを普通に過ごした

午前中は音楽を作っていた。

曲は、作ろうと思えばできるが、それよりもアレンジが難しい気がする。

何が良いのか悪いのか、よく分からない。

というわけで、ぼちぼちとその作業に没頭していた。

 

ネットフリックスで「もう終わりにしよう」を見始めた。

この人(チャーリーカウフマン)の作品は好きだ。

万人受けはしないと思うが、しかし、この人の映画はすごいと思う。

 

何というか、基本、カルト映画って、普通の映画より低く見られる気がする。

まあ、実際、それは確かにそうだなという気がするが、しかし、凄すぎて理解されないがゆえに、逆にカルトになってしまうというパターンもあると思う。

チャーリーカウフマンの映画はそんな感じがする。

晴れ/ピアノ/は行

早く起きた。

見事に晴れの日。

 

バッハの小曲集をピアノで練習した。

前に弾いたときから、時間が経ってしまったので、結構忘れてしまっていた。

譜面を見ながら、再度、メロディーなど確認した。

前よりも、おたまじゃくしが読めるようになってるが、まだまだ時間がかかる。

ノーミスで弾けたこともいまだに一度もない。

 

昨夜、寝る時に聴いてたラジオで、平安時代の人は、は行をぱ行で発音していたと聞いた。

だから、藤原氏は、ぷじぱらしになるようだ。

そうだったのか・・・。

晴れ。蛙化現象について。

今日はパーフェクトブルースカイ。

気分もノットバッド。

 

流行語大賞のニュースを見た。

殆ど知らんかった。

闇バイトくらいしか分からんかった。

 

蛙化現象というのも知らんかったが、気は惹かれた。

これは「好きな相手から好意を持たれると、その相手が嫌になる」という現象らしく、この頃の若者に共感を呼ぶ概念らしい。

 

分かるような、分からんような感じの概念だが、私なりに、これはこういうことなんじゃないかと思う。

つまり、自分で自分のことを嫌いな人は、普段から、自分を嫌う自分を肯定している。

これは、言い換えれば、自分を嫌うものが好きということだ。

だから、こういう人は、自分が好かれると、そのことで相手を嫌いになる。

 

蛙化現象をどうにかしたかったら、自分を好きになるしかない。

それは・・・分かる。

そもそも、殆どの悩みは、自分を好きになるか、ならないかに帰結する。

しかしどうやって自分を好きになるかが、結局、難題として残るだけだ。

さくらんぼグミを食べた

仕事へゆく。

 

朝は曇ってたが、昼には晴れている。

 

さくらんぼグミを食べた。

さくらんぼってどんな味だったか、忘れかけていたので、記憶回復がてら食べた。

美味かった。

 

仕事先の朝礼で、リーダーが「今日から12月です。驚くべきことに」と言ったのが、印象に残った。

確かに、12月になったのは驚くべきことだと思う。

さくらんぼグミを食べた

仕事へゆく。

 

朝は曇ってたが、昼には晴れている。

 

さくらんぼグミを食べた。

さくらんぼってどんな味だったか、忘れかけていたので、記憶回復がてら食べた。

美味かった。

 

仕事先の朝礼で、リーダーが「今日から12月です。驚くべきことに」と言ったのが、印象に残った。

確かに、12月になったのは驚くべきことだと思う。

眠い

仕事へ。

 

布団から出た瞬間、今日はあんま寒くないということが感じられた。

超絶眠くて、しんどかったが、まあ、段々眠気が覚めた。

 

空は晴れ晴れ。

昼飯はおにぎりとパンとサラダ。

 

お笑い芸人の天竺鼠が、無観客無配信のライブをしたということが、この頃になって、結構、心に効いてきた。

「ああ、昔、無観客無配信でライブしてたんだなあ」と思うと、心に迫ってくるものがある。

何か・・・ボケの規模が宇宙スケールだと思う。

おにぎりとサラダ食った

仕事にゆく。

 

昼飯はおにぎりとサラダと肉。

ブーストバイツグミも食べた。

 

最近、ふと、自分の魂というものを感じる瞬間がある。

魂って何なのか・・・よく分からないが、何となくそれを感じる瞬間はある。

 

それで、思ったのは、魂と心って何が違うんだろうか、ということだ。

 

心も魂も、体に宿るという点は同じだ。

そうすると、心があると思ってるのと、魂があると思ってるのは、どう違ってくるのか。

 

その違いはやっぱり、死後も存在するかどうかだろう。

心は死後にはなくなるが、魂はなくならない。

 

だから、魂を感じるというのは、永遠の生を感じるということでもある。

 

自分の中にあるのは、心だろうか、魂だろうか・・・どちらの方がしっくりくるか。

 

結局のところ、魂を否定することもできないので、魂でも構わないのだが、中々魂を感じるということもできない。

 

それは何でかと言えば、結局のところ、魂が私にとって非日常的なものだからということに行き当たる。

やっぱり、いつもの日常を飛び出す気がなきゃ、何もかもつまらないし、どうしようもないということなのだ。

図書館へゆく

図書館に行って、本を返した。

昼はマクドナルド。

 

今日は一日、気が抜けてた。

何かしようと思いつつ、する気にならず、徒に時が過ぎた。

 

いつものことだが、何か閉塞的な気分がある。

色で例えれば、灰色といったところだ。

そういう気分が、この季節の段々寒くなってくる感じとつながると、感傷にとらわれて、嫌なのだ。

 

二日目くらいから、夜寝る時にポッドキャストを聞いている。

歴史のチャンネルがさしあたり面白かったので、それを聞いている。

あと、ニュースも。

昼はさば定食

まあまあ暖かい日。

こういう日があるなら、まだ冬という感じでもない。

 

昼飯を外で食べた。

さばの定食。おいしかった。

 

しかしそこの店、注文がQRコードを使って、ネットから注文するシステムになっていた。

まあ、基本がその注文方法というだけで、勿論口で注文しても良いっぽいが、しかし、そこまで携帯を持ってることを前提にするのはどうなんだろうかと思った。

 

まあ・・・、口で注文しても、良かったのかもしれない。

初めて入った店だから、それはよく分からない。

コロナの時に、口で注文するのを避けるために、始めたっぽかったし。

 

でも、私がちょっとびびったのは、携帯がない人はもうこのサービスは受けられませんみたいな時代が、実際やってきそうという気がしたからだ。

来るかも・・・、いや、来ないか・・・?

寒い

いよいよ寒くなってきた。

部屋の中で、厚着した。

 

午前中はパソコンで音楽を作っていた。

幾つかプラグインを購入もした。

今はブラックフライデーの時期でセールになってるので、安く買える。

しかしこのブラックフライデーというのは、文化的に馴染みがなさすぎて、違和感がすごい。

しかしこれもいつか、クリスマスとかみたいに、メジャーなものになるのだろうか。

というか、もうメジャーになっているのだろうか。

今日は曇り

今日は曇り。

朝、仕事へ向かう途中、少し寒かったが、曇ってるということは、そのおかげで少しは暖かい方なのかもしれないと思った。

もう明るいのに、並んだ街灯がまだ点いてるのを見てたら、不意にそれが、良いなあと思えた。

早朝には軽い非日常感があって、だから特殊な気分にもなるのかもしれない。

 

仕事中、近くでお喋りしてる人が、もう今年も終わりだという話をしていた。

私もちょうどそんなことを考えていたので、印象に残った。

しかしそれでいて、年末に心が緩んで休まるというあの感じがしない。

何というか、またすぐに来年が来るという気がして、心が緩まない。

 

やっぱ目標とかがないからかなあと思う。

今年の抱負とか、今年の反省とかないと、年末の区切りにも特に感慨がないのかなあと思う。

昔、目標を持つことを目標にしようとか考えた事があったが、それは結局、単なる言葉遊びに過ぎなかった。

目標は、持てるか持てないか、持つか持たないか、これに尽きる。

 

でも、もう今年は終わるなあ。