コーヒーはもう減らす/「もう終わりにしよう」を見終わる
曇り。
もう寒い。
冬だ。
最近、コーヒーを飲み過ぎている気がする。
ので、一回分の量を減らすことにした。
回数を減らすよりも、量を減らす方が楽だ。
ネットフリックスで「もう終わりにしよう」を見終えた。
物語の部分がそもそもよく分からなかったが、後で解説を調べたら、分かった。
すごい映画(ドラマ?)だが、少しひっかかることがある。
この映画は、もし解説されていた解釈が正しいとすれば、男の頭の中の世界を映像化したものということになる。
そうなってくると、この映画は、はなから完全に現実のものではないということになる。
普通、映画は、現実を嘘として描いてゆくものだ。
だから、もしこれが普通だったら、この映画は、一人の男が清掃員として学校で働いたり、両親とのことで悩んだり、過去をひきずったりする様を、ドラマとして描くことになる。
そしたら、ここまで話は複雑にはならないし、もしかすると普通過ぎてつまらないものになるかもしれない。
この映画は一人の男について、外からじゃなくて、内面の世界から描こうとしている。
そこのアプローチの仕方が普通とは違っていて、確かに面白いのだが、しかし、内面世界を映像化するということへの疑問も少し感じてしまう。
内面世界を映像化するなら、ぶっちゃけ何でもありになる。
しかし、何でもありだから面白いことも沢山できるが、そこに根本的なリアリティが抜けてくる危険も感じるし、すごいことをやっても、それがこけおどしな可能性もある。
この人の作品は昔からそんな感じではあるが、この作品は今までで一番、内面世界に振り切っている気がする。
そこのところだけが少しひっかかる。
ただ、これが、自殺する寸前の極限状態の男の話だとしたら、しかも世の中から疎外された人間の話だとしたら、その男が実際、非常に内面的な人間であることは却って現実的とも思える。
そうなると、こういう映画表現だからこそ、この手の人間を表現できるのだという話にもなるかもしれない。
何にせよ、映画は普通に面白かった。
休みを普通に過ごした
午前中は音楽を作っていた。
曲は、作ろうと思えばできるが、それよりもアレンジが難しい気がする。
何が良いのか悪いのか、よく分からない。
というわけで、ぼちぼちとその作業に没頭していた。
ネットフリックスで「もう終わりにしよう」を見始めた。
この人(チャーリーカウフマン)の作品は好きだ。
万人受けはしないと思うが、しかし、この人の映画はすごいと思う。
何というか、基本、カルト映画って、普通の映画より低く見られる気がする。
まあ、実際、それは確かにそうだなという気がするが、しかし、凄すぎて理解されないがゆえに、逆にカルトになってしまうというパターンもあると思う。
チャーリーカウフマンの映画はそんな感じがする。
晴れ。蛙化現象について。
今日はパーフェクトブルースカイ。
気分もノットバッド。
流行語大賞のニュースを見た。
殆ど知らんかった。
闇バイトくらいしか分からんかった。
蛙化現象というのも知らんかったが、気は惹かれた。
これは「好きな相手から好意を持たれると、その相手が嫌になる」という現象らしく、この頃の若者に共感を呼ぶ概念らしい。
分かるような、分からんような感じの概念だが、私なりに、これはこういうことなんじゃないかと思う。
つまり、自分で自分のことを嫌いな人は、普段から、自分を嫌う自分を肯定している。
これは、言い換えれば、自分を嫌うものが好きということだ。
だから、こういう人は、自分が好かれると、そのことで相手を嫌いになる。
蛙化現象をどうにかしたかったら、自分を好きになるしかない。
それは・・・分かる。
そもそも、殆どの悩みは、自分を好きになるか、ならないかに帰結する。
しかしどうやって自分を好きになるかが、結局、難題として残るだけだ。
おにぎりとサラダ食った
仕事にゆく。
昼飯はおにぎりとサラダと肉。
ブーストバイツグミも食べた。
最近、ふと、自分の魂というものを感じる瞬間がある。
魂って何なのか・・・よく分からないが、何となくそれを感じる瞬間はある。
それで、思ったのは、魂と心って何が違うんだろうか、ということだ。
心も魂も、体に宿るという点は同じだ。
そうすると、心があると思ってるのと、魂があると思ってるのは、どう違ってくるのか。
その違いはやっぱり、死後も存在するかどうかだろう。
心は死後にはなくなるが、魂はなくならない。
だから、魂を感じるというのは、永遠の生を感じるということでもある。
自分の中にあるのは、心だろうか、魂だろうか・・・どちらの方がしっくりくるか。
結局のところ、魂を否定することもできないので、魂でも構わないのだが、中々魂を感じるということもできない。
それは何でかと言えば、結局のところ、魂が私にとって非日常的なものだからということに行き当たる。
やっぱり、いつもの日常を飛び出す気がなきゃ、何もかもつまらないし、どうしようもないということなのだ。
昼はさば定食
まあまあ暖かい日。
こういう日があるなら、まだ冬という感じでもない。
昼飯を外で食べた。
さばの定食。おいしかった。
しかしそこの店、注文がQRコードを使って、ネットから注文するシステムになっていた。
まあ、基本がその注文方法というだけで、勿論口で注文しても良いっぽいが、しかし、そこまで携帯を持ってることを前提にするのはどうなんだろうかと思った。
まあ・・・、口で注文しても、良かったのかもしれない。
初めて入った店だから、それはよく分からない。
コロナの時に、口で注文するのを避けるために、始めたっぽかったし。
でも、私がちょっとびびったのは、携帯がない人はもうこのサービスは受けられませんみたいな時代が、実際やってきそうという気がしたからだ。
来るかも・・・、いや、来ないか・・・?
今日は曇り
今日は曇り。
朝、仕事へ向かう途中、少し寒かったが、曇ってるということは、そのおかげで少しは暖かい方なのかもしれないと思った。
もう明るいのに、並んだ街灯がまだ点いてるのを見てたら、不意にそれが、良いなあと思えた。
早朝には軽い非日常感があって、だから特殊な気分にもなるのかもしれない。
仕事中、近くでお喋りしてる人が、もう今年も終わりだという話をしていた。
私もちょうどそんなことを考えていたので、印象に残った。
しかしそれでいて、年末に心が緩んで休まるというあの感じがしない。
何というか、またすぐに来年が来るという気がして、心が緩まない。
やっぱ目標とかがないからかなあと思う。
今年の抱負とか、今年の反省とかないと、年末の区切りにも特に感慨がないのかなあと思う。
昔、目標を持つことを目標にしようとか考えた事があったが、それは結局、単なる言葉遊びに過ぎなかった。
目標は、持てるか持てないか、持つか持たないか、これに尽きる。
でも、もう今年は終わるなあ。