宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

丹下左膳余話 百万両の壺

昔は、好きな曲があると、CDを買ったり、レンタルショップへ行って借りたりしていたが、この頃はYOUTUBEで音楽を聴くだけになっている。長年の経験で、CDを買ってもたいして聞かなかったりするということは、身に染みて分かっている。それで最近はもう、<その時の気分に合わせた音楽をそのつど検索して聞く>というのが一番いい形なのだということになっている。こうすれば、自分の好みが変化するのにも対応可能だ。レンタル代もかからないし。

今は、CDが売れない時代というが、それはそうだろうと思う。ぼく自身、こうしてYOUTUBEだけで満足してしまえるわけだから。

それで、今日、マイミックスリストというのものがあることを初めて知った。ぼくが普段聞いている音楽を自動でリスト化してくれるというものだ。おそらく、履歴からAIがいろいろやってんだろうと予想するが、正直、このリストはすごい。<お前のお気に入りってこれだろ?>と的確に音楽を流してくれる。何でも察してくれる優秀な部下を持ったかのようだ。もういっそこわいくらいだ。

このリストを適当に聞き流しながら、作業をすると、すばらしく満たされた気分になる。<いやあ、すごい時代だな>と感心する。と、同時に、あまりにも個人的な世界に浸ってしまえることにぞっとする。いずれにせよ、これじゃ、もうCDなど買う気にもならない。携帯音楽プレーヤーすらこのごろはもう聞いていない。

 

さて、<丹下左膳余話 百万両の壺>という映画がある。山中貞雄監督。

この監督は、戦争に行って病気になって、若くして亡くなってしまったらしい。残っている映画も3本?しかないとか。実力は評価されていて、天才監督といわれていたらしい。

アマゾンプライムに3本ともあったので、全部見たのだが、全部面白かった。中でも、この丹下左膳の映画が一番好みだった。次に<人情紙風船><河内山宗俊>とくる。

はじめて映画のタイトルを見たとき、<何だこの長いタイトルは>と思って、とっつきにくかった記憶があるが、丹下左膳というのは、当時、新聞小説で書かれていた小説にでてくる剣士の名前らしい。左ということばが入っているように、この剣士には左目と左手しかない。隻手隻眼でありながら、刀の名人というキャラクターだ。いくつかの話があって、この映画はそのなかのワンエピソードということだ。

話としては、百万両の価値がある壺が街に出回ってしまったということで、必死で探すみたいな話。山中貞雄の映画はどれもノリが似ていて、小さな話がいくつか同時進行していき、それらの話が組み合わさって、全体の話ができあがるみたいな感じ。ちょっとことばにするのが難しいのだが、ひとりの主人公を中心に進むというより、いろんな人たちの話がそれぞれ進行していく感じ。この丹下左膳というのも、中心人物のひとりって感じだ。

どの映画もユーモアがあるのも特徴のひとつだと思う。そのユーモアというのも、落語っぽい感じ。それで、粋なノリというのが多い。さらに、けっこう人情のある世界観で、それでいておしつけがましくない。ヒューマンドラマで説教くささが出てしまうというのは、映画ではあるあるだが、山中貞雄の映画にはそういうことがない。非常に、自然だ。ぼくは、くさいドラマがかなり嫌いなので、このくささがないというのが、すごく魅力に感じられる。

ユーモアというのは例えば、こんな感じ。丹下左膳が道場破りに行き、道場の人たちを次々と倒してしまうシーン。

門下生<師匠、大変です。道場破りです。>

動揺する師匠<なに!>

門下生<それがたいそうな手練れでして・・・。ついに○○がやられてしまいました。>

焦る師匠<むう。○○が・・・。あっ!そうだ。××がいただろう。あいつに戦わせなさい。>

門下生<いえ、××は一番はじめにやられております。>

こんな感じ。笑いと言ってもかなり軽めのやつ。いっちゃえば、くだらないともいえる。山中貞雄の映画では、ところどころでこんな、ネタが出てくる。これがかなり好みだった。落語の笑いを思い出す。<ねえねえ、ちょっと耳を貸してくれよ><え?どっちの耳だい?>的なノリ。こういうくだらなさと知性の中間みたいなネタが非常にいい。

それで、さらっと人情がでてくるところがまた良い。丹下左膳が、子供に<おまえの親父が死んだ>と告げに行くシーン。

丹下左膳<おまえ、お母さんはどうした>

子供<いないよ。お父さんだけ。>

丹下左膳<・・・そうか。ふむ。そうか>

みたいな感じで、結局、丹下左膳は子供に何も告げられずに帰ってくる。こんなシーンがさらっと出てくるのが、すごくよかった。人情あり、ユーモアあり、ドラマとしても話がとてもよくできていて、面白い。この百万両の壺は、はじめどこにあるかというと、こどもが金魚を飼うための水槽として使っている。百万両の壺という欲の象徴みたいなものが、金魚の水槽みたいな素朴なものとして使われているのは、なんだかシニカルだし、それと同時に趣を感じさせる。粋だ。よくできた話だなと思う。

昔の映画には時代劇がよく出てくるが、監督によって、その世界観は全然違う。生がひたすら苦しい世界観とか、けっこうのん気だったり、いろいろ。たまに、どの世界観が現実に近いんだろうと考える。今みたいに科学があるわけじゃないから、やっぱり苦しいことがたくさんあって、残酷で理不尽な世界だったのかな。でも、かといって、人情がないかというと、それも違うと思うのだ。いや、むしろ、理不尽な分、人情は今よりもあったんじゃないだろうか。そんなこと思う。