宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

ペパーミントキャンディー

先日、清掃のバイトに応募したのだが、落選した。向こうとしては、女性の従業員が欲しかったらしい。それなら募集要項に女性のみと書いておいてほしい。無駄足を踏んだ。憤り。

別に面接で落とされたわけじゃないから、そういう意味ではショックではないのだが、別のことで絶望している。そもそも、清掃の仕事を探そうと思ったのは、現状、あまり人とコミュニケーションをとりたくないからだ。清掃の仕事なら、比較的、一人作業で済みそうだという気がしていた。そういう見込みで、今回応募したのだが、調べてみて、意外とぴったりくる求人が少なかった。たいていの求人は、仕事時間が短かった。それで、今回応募した求人は、やっと見つけた求人だった。それに落選してしまったので、どうも清掃の仕事に就くのも難しいのかもしれないと思い始めた。かといって、これ以外に自分にできそうな仕事が思い浮かばない。テレワークの仕事にも申し込んだが、落選してしまった。まだたったの2つの求人に申し込んだだけなので、それだけで、仕事がないなどと思うのも、早計過ぎて馬鹿馬鹿しいと感じつつ、やっぱり絶望している。仕事がなければ死ぬという想いが頭に浮かんでくる。

 

イチャンドン監督のオアシスを見て、衝撃的だったので、同監督の<ペパーミントキャンディー>も見た。

映画は、7つ?の小話で構成されている。

一個一個の小話はそれぞれ年代が違っている。一番初めは19XX年で、次の話はそのX年前、次はさらにY年前・・・。というように小話は段々と過去へさかのぼっていく。

その小話と小話との切り替わりのときに、汽車から映像が挿入される。この汽車からの映像は、一見、線路の上を進んでいくときの映像に見えるが、よく見ると、散った花びらが元に戻っていたり、線路沿いを走る車がバックしていたり、人間が逆向きに歩いていたりする。つまり、これはバックしている汽車の映像というわけであり、小話が進むにつれて、過去へ戻っていくというこの映画の仕掛けに合わせた映像ということである。

一つ目の小話で、主人公の男は、汽車の前に身を投げ出して、自殺を図る。何で彼はそれほど絶望してしまったのか?これが小話が進むにつれて、段々と見えてくるという映画になっている。

映画の予告を見た段階で、時間が戻っていく映画だということは、知っていた。でも、<だからなに?>という感じで、特にそれについて何も思うことはなかった。別に、映画的にはそんなに珍しくないと思った。でも、映画の途中で、その仕掛けの持つ効果に気づいたとき、<なるほど>と思った。

この映画は、普通に時間を進めていったとすると、主人公が生きるうちに段々と心が腐っていってしまう話になっている。しかし、それを時間を逆戻しにすることで、始めに腐っている状態が語られて、話が進むにつれて徐々に、純真だったころへ帰っていくという話に変わっている。この段々ときれいだった昔に帰っていくという演出が、悲哀と美しさを感じさせて、とてもよかった。普通に時間が進行していく映画だったら、始めに明るい要素があって、それが段々と暗くなってきて、最終的に自殺を図るというバッドエンドの映画になっていた。今まで見てきた映画は、大体、バッドエンディングかハッピーエンドか、特に解決とかはなくただ終わるか、そんなパターンだった気がする。この映画は、最終的に一番純粋だったころの話で終わりになるから、ちょっと明るくて美しい感じで終わるのだが、実際、その美しさの分だけ哀しくなってしまうわけである。美しいんだけど、哀しい。その最後の印象が、今までに味わったことのない体験だったので、最終的にとてもいい映画を見たという気になった。こういう効果を狙って、時間をさかのぼらせたのだと思うと、<さすがだなあ>という感じ。