宇宙のことが心配です

好きに色んなことを書きます。日記が中心です。本、映画、漫画、アニメなどで暇を潰す事が多いので、その手の感想も書くかもしれません。

普通の一日

 午前中にアニメを4本見て、夕方に2本見た。アニメは一つ20分くらいで、何個か見てもそんなに時間がかからないのが良いところだ。飽きっぽい自分としては映画一つ見るより、色々なアニメを一本ずつ見た方が気分が変わって良い。最近は虚無感のせいでアニメに集中できずにいたが、こうして真面目に見ることができればどの作品も面白いものだと気づく。やはり集中して見てみるということが楽しむことには不可欠なのだろう。

 時間つぶしに「赤毛のアン」を原文で読んでいる。一度読み始めたら2ページくらい読んでいる。今、一章が終わった所だ。児童文学とはいえ、文章は結構難しい。何が分からないかというと、まずupとかoffとかの前置詞の捉え方が分からない。動詞と合わさって一つの意味になるものはそのまま訳せばいいが、そうならない場合はupとかoffの意味が動詞と関係しているのか単独で意味を持つのかよくわからない。次に、文章が長くなってくると文章の構造がわからない。大抵、途中でカンマが打たれて文節が挿入されるが、それがどういう風に主文と関わっているのかが難しい。また、that's what.とかそういうのが全く分からない。慣用表現だと思うのだが、調べても分からない。分からない所が多いのだが、そこは適当に飛ばして読んでいる。とりあえず男の子を孤児院から引き取ることになって、レイチェルがそれに驚いたってことくらいは分かった。

 空白な時間ができると、自分の仕事探しについて考える。理系職として会社員を目指すことを考えると、面接のことがまず頭に浮かんでくる。失敗すると考えることで実際に失敗するだろうし、それを適当に流すこともできないだろう。入社しても仕事が続くイメージが描けないから、心中で無理だと思いながら、口では志望動機を言うことになるだろう。しかし実際こんな状態でも受かることは不可能ではないだろう。こういう負の心理はきっとみんなが持っているはずでいわば普通の恐怖だからである。わたしの場合はそれが極端なため葛藤も激しくなるが、別に悪いことをしているわけではない。だから面接に耐えていけばきっと受からないわけじゃない。しかし面接など良くも悪くも試験のようなものだ。問題は実際働くことが継続できるかだ。会議とか雑談とか叱責とかそういうことでどんどん苦しくなっていくだろう。そんなことで感情的になっていたらどうしようもないということで感情的になるのだから、どうしようもない。結局、自分には無理だという結論になる。自分で意志決定する仕事は、他人からの叱責恐怖でまともにできなくなる。すると単純作業系の仕事しかない。しかしそこでの人間関係は大丈夫か。それなら本当に自分に耐えられるのか。それができなければもう仕事などできない。考えると苦しくなってくる。しかし考えなければどうにもならない。生きることは苦しいことだ。楽しいから生きていくのであれば自殺してしまう。苦しいから生きていくのだ。